最寄の駅までの道の途中、空を貫く大きな夫婦の銀杏の木がありました。春は一斉に若芽が吹いて黄緑の清々しい姿に。夏は天辺をいつも風に揺らしながら歌っています。秋になると柔らかい黄金色に姿を変え、その美しさに心がとろけてしまいます。寒さが厳しくなるにつれて降りていく葉たちは、時間をかけて土に帰っていきました。学校や仕事へ出かける時に挨拶を交わし、帰りは「今日はこんな日だったよ」と報告する、彼らは素敵な友達でした。
今年の春、一週間ぶりにいつもの道を通った時、身体から力が抜けそうになりました。彼らも周りにいた彼らの仲間もすべてすべて切り倒され、横たわっていたのです。多分宅地として造成するのでしょう。歩きながら涙が止まりませんでした。しかたがないことだけれど、こんなことはいくらでもあることだけれど。でもやっぱり悲しい。人の都合で切り刻まれた仲間たちを見るのは本当につらい。
ずっと以前、人間の(!)友人に「こんな時私はいつまでも悲しい気持ちから抜けられなくて、人でいることが嫌になってしまう。」と話したことがあります。友人は「切り倒された木たちはね、人のことを恨んだりはしない。悲しいとしたら、自分たちがそこに確かにいたんだってことを誰からも忘れられてしまうことなんじゃないかなあ。だからね、YURIちゃんが覚えていてあげればそれだけでいいんだよ。」と教えてくれました。
だから、今その道を歩くとき、「銀杏ちゃんたち、元気?私は覚えてるよ。」と、美しい姿を思い出しながら笑って話しかけます。そこを過ぎると「ピンクのさるすべりちゃん、覚えてるよ。家のさるすべりちゃんも今咲いてる、あなたのほうが濃いピンクだったよね。」とか、おしゃべりは続きます。一瞬で繋がることが出来るのです。植物だけでなくあらゆる存在と。外側の姿が失われてもその魂がなくなるわけではないからです。
決められたその時まで、天に帰るその時まで、優しいエネルギーだけをふりまきながら、あるがままを楽しんで感謝して歌いながら生きる、美しい木々たちのように私も生きていけたらなあと思います。
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